世間に「毎日がつまらない」とため息を吐く大人は多いといわれています。
しかし、小さい子供時分はどうだったでしょうか?おそらく、多くの人は、毎日が喜びに満ちていたのではないでしょうか?
では、どうして人は大人になると、毎日がつまらないと感じるようになってしまうのでしょう?
それは、年を重ねるたびに、他人と自分を比較してものごとを考える習慣が形成されるからだと思います。
小さい子供の頃は、見たもの、聞いたもの、味わったもの、触れたものなどを、自分の感覚をもって純粋に味わうことができた。だからこそ、毎日の出来事を感動をもって味わえていたと思うのです。
しかし、幼稚園、小学校、中学校・・と進学するにつれ同級生と学業成績などで優劣をつけられる機会が増えていきます。
すると人は自ずと、条件反射的に「他人と比べて上か下か」という尺度でしか自分の価値を判断できなくなってしまいます。
他人と比較することは、社会に競争を生み成果を高めるという意味ではメリットも多くあるのは確かです。
しかし、個々の人間で見たとき、本来味わえていたはずの日常の感動が味わいにくくなってしまうという弊害も生むというわけです。
本来、日常生活というものは、さまざまな感動に満ち溢れているはずです。
路傍に咲く花一輪をとってみても、その形状や色彩、宿る生命などあまりに神秘的で本来感動してもし尽くせない存在だと思います。
しかし、人は大人になるとなぜか日常の出来事を感動できなくなってしまいます。「なんだ、雑草か。くだらない」みたいな感想しか持てなくなってしまうのです。
そして気付けば「毎日がつまらない・・」とため息をつくようになってしまうわけです。それは、感動できる出来事が世の中になくなったわけではなく、純粋な感動を生み出す思考回路が失われてしまったゆえだと私は考えます。
他人と自分を比較する習慣が身に沁み込んでしまうと、人はものごとに感動できなくなくばかりかネガティブに物事を考えがちになります。
人と接することにおいても同じです。例えば、社会的に成功をおさめた人と接して自己嫌悪に陥る人も少なくないといいます。
それはすぐさまその成功者と自分と比較をして「あいつはすごいなあ。それに比べて俺は(ダメ人間だ)・・」という風にネガティブに自己評価してしまうからです。
本来、素晴らしい魅力を兼ね備えている人でも、他者との比較でしか自己評価できなくなると、その魅力は色あせてしまいます。
他人と自分を比べることで奮起できるような精神力にタフな人ならよいかもしれません。
ただ、そういった人は実際のところ一握りにすぎないと思います。大抵は、劣等感の淵に沈み込んでしまうことになるでしょう。
他人と比較して足りない点を探すことばかりに終始していれば、自身の持ち合わせている魅力はますます影を潜めてしまうことにもなるでしょう。そして、毎日不平不満や愚痴をこぼしながら年老いていくことになるのです。
では、一体、どのように考えれば、人は他人と比較をする思考から逃れることができるのでしょうか?
それは視点を「今このとき」に意識的に置くことだと思います。
他人と比較し劣等感を感じる前に「今ある幸せなことがらは何か?」を探すことに意識を集中させるのです。
「幸せなことがらなんてあるわけないよ」と思われる人も、試しに思いつくだけ紙に書きだしてみてください。
すると、実にいろいろな素敵な出来事が「今このとき」にも存在していることに気づくはずです。例えば、
・窓から見えるまち明かりがきれいだな
・気温が温暖で居心地がよいな
・健康的で体に痛みもなくてありがたい
・雨風をしのぐ家がありありがたい
・今食べているお菓子はおいしい
・パソコンでいろいろな情報を得れて便利だ
・テレビで離れている風景でも見える
・家族も友達も元気で過ごしている
・仕事があり安定した生活を送れている
・腰かけている座布団がふかふかで心地いい
・空気があり呼吸をでき生きている
などなど、まだまだ数え切れないほどたくさんあると思います。
そういった「今ある幸せ」は何気なく生活しているとついつい見逃してしまいがち。しかし、探したら意外と見つかるものなのです。
そういった「今ある幸せ」にひとつでも多く気付くことが幸せな生活を実現するために重要だと私は思います。
おそらく小さな子供時分には誰もが、そういった喜び・感動探しを無意識のうちにできていたのでしょう。
それが、大人になるにつれて見聞が広がるとともに他人と自分を比較するようになることで、その本来の思考回路が失われてしまうのです。
「今」という時間はどんどん過去に流れ去ってしまいます。
人生は有限であり、他人と自分を比較しながら一喜一憂して生きるなど非常にもったいないと思います。
持ち合わせている「幸せなできごと」に感謝しその有難さを日々噛みしめながら日々を過ごすことこそが、幸福な人生そのものなのではないかと思います。