何か新しいことや慣れないことにチャレンジするとき、多かれ少なかれ失敗リスクがつきものです。
ですから、人によっては、その失敗リスクについて極度の恐怖心を覚えます。
そもそも、失敗をすることに対して恐怖心を持つことは、良くないことなのかというと、価値のあることだと思います。なぜなら、その心理状態は人間が行動することの原動力となりえるからです。
例えば、明日までに会社の企画書を仕上げないとならないとなると、大抵の人は焦って企画書作成に取り組むはずです。
もし仕上がらなかったら上司に叱られるだろうという恐怖心がそこにあるからです。
ですから、失敗をしないように危機意識を持って仕事や日常生活に励むというのは、社会生活を送る上で重要なことだと思うわけです。
しかし、その危機意識が限度を超えたもので、心身のバランスを崩してしまうというなら話は別だというわけです。
そもそも失敗を恐れるということは、それだけ自分の中に守りたいものがあるということです。
言い換えれば、失敗して周囲からの評価が落ちることを懸念しているのです。
どうして懸念するのかというと、理想の自分像と現実の自分に落差があることを無意識のうちに自覚しているからだと思います。
「失敗を回避して何とかして理想の自分像を守らなければならない」そう考えるからしんどくなってしまうというわけなのです。
短期的な視点で見ると、失敗したくないがために行動をすることはプラスな面が多くあるとは思います。
しかし、その考えをもって新しいものごとをチャレンジしようとするならば、常に不安と恐怖に縛られていなければならないことになります。
なぜなら、理想通りにいく自分しか認めることができないという心理状態にあるからです。
想定通りにものごとがうまく運べば良いのでしょうが、思うように結果が伴わなければ、ひどくショックを受け自己嫌悪に陥ってしまうのです。
ですから、その不安感を解消しようと思えば、自分を縛っている考えはないか再確認してみる必要性があるのではないかと私は考えます。
例えば、「大手企業に入社すれば幸せになれる」と信じている人がいるとします。
その人はおそらく、「大手企業に入社できなければどうしよう」という不安を抱えて生活をしているわけです。なぜなら、大手企業に入社できないことは失敗であり、幸せになれないという風に考えてしまっているだろうからです。
そして、もし就職活動をした結果、大手企業に入社できなければ、ひどく落ち込み暗い人生かしか待っていないと想像していることでしょう。
ただ、肝心なのは、「本当にそうなのか?」ということです。
確かに大手企業の社員になれば、少なくとも現時点においては、仕事が安定しており給料も高いかもしれません。しかし、大手企業でも倒産する時代ですし、それが絶対的な幸せにつながるかというとそうとも限らないわけです。
逆に中小企業・零細企業でむしろ力を発揮でき充実した日々を送れる可能性もあるわけです。
そういった可能性についても考えてみたらよいと思うのです。
自分自身のなかで常識化していることの多くは、世間一般で言われていることであったり、親や教師が一方的に押し付けたりした考え方だったりするわけです。
しかし、中には大した根拠はなく常識化されてるものごともあったりするように思うのです。
それが妥当な考えなのか自分で判断するためには、「想定しうる最悪の事態」を考えてそれに対する対策を考えてみると良いと思います。
上記の事例でいうと、仮に大手企業に入社できなかったときの自分を想像してみるのです。
その事態がもし現実になったとき、本当にそれは絶望的で、将来の道はないのでしょうか?
それは違うと思います。
アルバイトをしながら就職浪人をするのもよし、中小企業に入社してスキルを磨くのも良し、資格を取得してフリーで働く道を模索するのも良し。
少し落ち着いて考えてみたら、おそらく、想像しているような、暗い未来ばかりが広がっているかというと、決してそうではないと思うのです。
未来の分からないことに対して過度な不安感を持ちすぎているにすぎないのです。
そういった点を考えていくと、大抵のことは「まあ失敗しても大したことないか」と思えてくるはずです。
仮に失敗しても、その状態の自分自身を受け入れることができるようになれば、自然と心にゆとりが生まれ、自己肯定感が上がっていきます。
すると、失敗する事に対する恐怖心が解消されてきて、前向きな気持ちで新しいものごとに挑戦できるようになると思います。