真面目すぎる人が、自分は嫌われているのではと不安になりがちな理由とその解決策とは

ある生真面目な性格の知り合いからこんな相談を受けたことがあります。

私は仕事先で同僚から嫌われているのでは?と思うことが時々あります。もっといい加減な性格になった方が好かれるのでしょうか?

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話を聞いてみたところ、仕事先では時間にルーズなど、いい加減な性格の同僚が複数いるとのこと。そういった同僚から「一緒に仕事してて何か面白くないよね」みたいに言われることがあり、落ち込むことがあるとのことでした。

私の考えとしては、「真面目な性格」を修正するというより「他人の言動にふりまわされやすい」という点を変えてはどうかとを、その知り合いにアドバイスしました。

まず、真面目すぎる性格であることは、決してマイナスなものではないと思います。几帳面ゆえに仕事や勉強などで高いパフォーマンスを発揮できる良い面がたくさんあるからです。

また、責任感をもってものごとに取り組むため、友人や仕事関係者などから信頼されやすいという利点もあることでしょう。

一方、悪い面としては、視野が狭く四角定規にものごとを考えがちであるため、周囲からすると融通がきかない人だと思われやすいこと。

また、考えが常識の範囲内にとどまりがちであるため、面白みに欠けると判断される場合もあるかもしれません。

結局、真面目すぎる性格にも「良い面」と「悪い面」があるわけで、決して卑下すべきことではないのです。というより、そういった面は「個性」とくくることができますし、人によっては悪い面も良い面と判断することもあるでしょう。

ですから問題なのは、「真面目すぎる性格」というより、「他者から自分がどう思われているか」を過度に気にする点にあるのではないかと思うわけです。

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他者が自分のことをどう話しているのか、どう判断しているのかが過度に気になってしまうというのは、その証拠であり、それが精神的な疲弊につながってしまうと考えられるのです。

真面目すぎる人は「全員から高く評価されなければならない」と義務的に考えがち。それを目指すこと自体は良いことではありますが、あまり厳密に考えすぎると、際限ない茨の道に迷い込んでしまいます。

なぜなら、他人は性格も価値観も違っているだけに、全員から高く評価を受けるなど不可能に近い困難なハードルだからです。良かれと思って他人を助けたつもりが「お節介だ」と反応されることもあるわけです。

ですから、「全員から高く評価されなければならない」と考えることに執着してしまうと、その越えることが不可能ともいえる壁に圧倒され「自分は無能な人間である」などと自己否定しやすくなってしまうのです。

他人の言動を気にして落ち込んでしまうというという状態は、正に自己否定を重ねた状態だと思います。だから、他人の言葉が必要以上に気になってしまうのです。

もし他人から低く評価されたら、自身の能力のなさを痛感して惨めな思いをする。それを怖れているのです。

ですから、それを解決するためには、「自分の評価は他人が決める」という概念を「自分の評価は自分が決める」という風に思考を上書きすることが必要になるでしょう。

そのためにどうすればいいかというと、「他人の言動や態度は絶対なものではない」ということを常日頃から考える習慣を持つのが良いと思います。

相手が会社の先輩であれ、かなり年配の上司であれ所詮は人間です。人間である以上間違いはありますし、いろんな考え方があるもの。

また、その日の気分によって態度や言動はコロコロ変わるものです。結局は、参考にはなる部分はあっても、あてにはならないものなのです。

ですから他人から何か言われても「そんな考えもあるのか」程度に自分にとって良い解釈をするくらいが良いと思います。その上で、自分にとってプラスなことであれば参考にするという感じでいいのではないでしょうか。

他人の言動に必要以上に振り回されず、「自分の評価は自分が決める」と考えることが習慣化したとき、自己肯定感が高まり、他人の言動が気にならなくなると思います。

そして自信がみなぎることで、否定的な言葉を投げかけようとする人間もいなくなることでしょう。

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