真面目すぎる人は何事も几帳面で完璧にものごとをこなしていく傾向があります。
一方で、杓子定規でものごとを考えることから、周囲の人間からすると融通が利かないと思われ「とっつきにくい人」というレッテルを貼られることもあります。
例えば、会社のなかで誰も守っていないような古いルールを頑固に守ろうとすること。
そこに意味があるなら良いのですが、そうでもなく、ましてや他人を注意するようなら「あの人はとっついにくいなあ」と思われてしまうことでしょう。
真面目すぎる人は自分なりのポリシーがあり、自信に満ち溢れた生活をしているように思われがちです。
しかし、内心はそうでもないようです。
なかには、他者からの自分のマイナス評価を耳にしては悩み「不真面目な人を演じればいいのだろうか?」と悩んでいる人も少なくないようです。
どうして真面目すぎる人は「とっつきにくい人だ」と判断されると悩みこんでしまうのでしょうか?
それは、完璧主義な傾向が強いからだと思います。
自分の考えを曲げないという思いがある一方で、無意識のうちに、「皆から良く思われなければならない」「全員から高く評価されなければならない」という風にも考えているのです。
100人いて99人が自分を高く評価してくれたとしても、残りの1人がマイナス評価をしたら、真面目すぎる人にとってそれは「気になって仕方ない」という状況なのです。
足りない部分に目がいってしまうのです。そして、「どうして残りの1人は自分を評価してくれないのか?」「自分に落ち度があるのではないのか?」などとネガティブにその状況を考え、自分を過小評価してしまいます。
もちろん、全員から評価されるのを目標に努力をするのは良いことだと思います。しかし、絶対に結果を出さえばならないと義務的に考えてしまうと精神的にしんどくなってしまいます。
何故なら、「全員から承認される」というのは非常に高い壁であるからです。
人間にはいろいろな性格の人がいて価値観も気性もさまざまです。ですから、いくら努力しようが、他人の気持ちをコントロール不可能であり、それを可能にせねばと考えること程しんどいことはないのです。
つまり、真面目すぎる人が他人の言動を気にしないようにするためには、自らそんな高いハードルを設けないということが重要だと思います。
では、どうすればハードルを下げられるかというと、他人を絶対視しないことがポイントになると思います。
人間はそれぞれ育った環境も持ち合わせている性格も違うのですから同じ事象と接しても感じ方も千差万別だということを理解するのです。
例えば、真面目な人を「とっつきにくい人だ」と思う人がいればその一方で「堅実で信頼できる人だ」と思う人もいることでしょう。
結局は人によって判断はさまざまですし、そのときの気分によっても思考は変わるものなのです。つまり、流動的である他者からの評価を絶対的な指標にしてはならないということがいえるのではないかと思います。
自分の評価は他人が決めるのではなく、自分が決めるものなのです。
ですから、真面目すぎる人は無理に「不真面目になろう」と考えない方が良いと思います。
真面目であることは貴重な個性であり、「真面目なことを良いように捉えてくる人がいればそれでいいか」くらいに考えるくらいがよいのではないでしょうか。