厳しすぎる家庭で育って「怒られること」を極度に怖れる人の心理と改善策


人と関わっていくなかで、「怒られる」という場面は誰しもが経験したことがあるかと思います。

怒られることによって、それをバネに飛躍できる人もいる一方で、怒られることを極度に怖れてしまう人もいます。

以前、知り合いから「誰かに怒られることが怖くて、仕方ないです。どのように考えたら毎日が楽しくなるのでしょうか?」という悩み相談を受けたことがあります。

話を聴くと、どうやら厳しすぎる家庭で育ったことがその原因ではないかと分かってきました。

そこで今回は、厳しすぎる家庭で育ったために「怒られること」を極度に怖れるようになってしまった人の心理と改善策について考えてみたいと思います。

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怒られることを極度に怖れる人の特徴とその問題点

職場や学校、家庭などで、誰かに怒られたという機会が人それぞれあることでしょう。ただ、「怒られる」ということに対する捉えかたは、同じような場面で怒られても人によって千差万別です。

厳しすぎる家庭で育った人の場合、大人になっても怒られることを極度に怖れる傾向があるといわれています。

どうして厳しすぎる親に育てられたら、怒られることに極度の恐怖心を持ちやすいかというと、子供のころ、親の期待に沿う結果を出さなければ、必要以上に激しく怒られてきた過去があるからだと思います。

子供のころの記憶は脳に深く刻まれるため、その記憶は大人になってからも鮮明に残っているものです。

ですから、誰かに怒られたらその頃の記憶がよみがえり、条件反射的に必要以上の辛さを感じてしまうというわけなのなのだと思います。

例えば、子供のころ、少しミスをしただけで、親から日常的に人格を否定する言葉を受けていたとします。

すると、大人になって会社上司から少ししたミスを注意されただけでも、その記憶がよみがえって「人格を否定された」といったように拡大解釈して感じてしまうのです。

人間は細心の注意を払っていたとしてもミスをするものです。また、「怒られる」ということはいつ起きるか分かりませんから、怒られないための対策を100%立てることなんてできません。

そうなると、怒られることを極度に怖れる人は、常に緊張と不安に包まれてビクビクしていなければならず、本来得られるべき「幸福感」を味わうことが難しくなってしまいます

また、行動の動機が「好きだから○○をする」というのではなく、「怒られないために○○をする」になってしまっているため、自分の「足りない部分」に目がいきやすく、ますます自分自身を嫌いになってしまいます。

誰かの顔色をうかがいながら、他者から嫌われないようにビクビク行動する。その状況では、のびのびとした自由な発想をできませんし、本来自分が持っているものも発揮できず、ストレスがたまる一方になります。

怒られていなくても「きっと誰かに怒られる」と考えてしまうと緊張と不安から永遠に逃げ出すことができません。

すると、結果的に自分の殻に閉じこもってしまい孤独感に苦しんだり、自己喪失感を感じ生きる気力を失ってしまうということになるのです。

改善策の大まかな2つの方向性

では、厳しすぎる親のもとで育ったがゆえに「怒られることを極度に怖れる人は」どのように考えれば、その恐怖感を克服できるのでしょうか?

その問題の根本的な原因は「ものごとをマイナスなものに捉える思考回路」にあると考えます。つまり、習慣を変えることにより、その思考回路を変えていくことが必要になってくるのです。

では、どのように変えていけばいいかというと、大まかに分けて以下の2つの方向性が考えられます。

①「ものごとをプラス思考で考える習慣をつける」
②「無条件で自分を愛する

ではそれぞれについて詳しく述べてみたいと思います。

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改善策①「ものごとをプラス思考で考える習慣をつける」

厳しすぎる親のもとで育った子供は、社会生活を送るうえで、いろいろな精神的壁にぶち当たるかと思います。

例えば、叱られることを極度に恐れて人の輪に入っていけなかったり、特に理由はないのに自己喪失感を感じ無気力になってしまったり。

どんなに地位や財産を築こうが、社会的成功をおさめようが、厳しすぎる家庭で育った人は、幸せを感じられるのは一時的なものにすぎません。幸福感が継続しないのです。

それは、子供時代に厳しすぎる親に怯え、萎縮して暮らすことを余儀なくされていた辛い過去があるからだと思います。

例えば、自分が決めたこと以外のことをしたら父親に激しく叱り飛ばされたり、母親がヒステリーになって怒りがやまないなど。

そういった家庭に育った人は、怒られることに対して、異常な恐怖心を抱きやすくなります。

そして大人になっても、その当時の記憶がトラウマとして潜在意識に記憶されており、他者から些細なことを注意されるだけでも、人格を否定されたというふうに感じてしまうというわけです。

そして、他人の行動や言動に敏感に反応しながら、それに常に怯えて暮らすことを余儀なくされます。それではストレスがたまる一方で、とても辛いことだと思います。

ただ、厳しすぎる親が「悪」なのかというと、決してそうではないと思います。子供の幸せを願わない親などいないからです。

接し方がきつかったとしても、その親なりに「子供に成長して欲しい」「自分のような失敗を子供に欲しくない」という親心から敢えて厳しく接していたのだと思います。

しかし、そういった言葉の裏に隠されたメッセージは、残念なことに、人生経験の浅い小さな子供に対してはなかなか伝わるものではありません。

子供は不幸なことに、その言葉を額面どおりに捉えてしまい、「自分は価値のない人間なんだ」というふうにマイナスに解釈してしまうのです。

例えば、テストで満点をとったときだけ認められて、1問でもミスをしたら「お前には生きる価値がない!」と心ない言葉で叱られつづけたとします。

親は自分自身の人生経験をふまえ「子供には完璧な人間になって幸せになってもらいたい」という愛情を込めているのでしょうが、子供はそこまで深いメッセージを読みとることができません

不幸なことに、子供は「自分は生きる価値がない人間なんだ」と言葉を額面どおりに受け取ってしまうのです。

そんな行き違いのコミュニケーションが日常茶飯事となると、心ない言葉を受けた子供はいつしか思考が停止し、遣りどころのない怒りだけがどんどん心に蓄積されていきます。

そして、他人の顔色を病的なほどに気にしながら、ビクビク生きるしかない大人に成長してしまうのです。

悲しいことに、厳しすぎる親と、そのもとで育つ子供の間には、さまざまな誤解が生じているのです。

ですから、辛いことかもしれませんが、過去に体験した辛いことがらと向き合い、その「マイナスの記憶」を「プラスの記憶」として上書きし、自分なりに誤解を紐解いていくことが必要なのだろうと思います。

そのためには、体験した辛かった出来事を「プラスなもの」に解釈して「ありがとう!」という感謝の気持ちをつぶやいてみるとよいのではないかと思います。

例えばこんなふうに。

・×親が厳しすぎたから自分の意見が言えなかった
→○親は自分が成功するため心を鬼にして鍛えてくれたんだ。ありがとう!

・×優秀な兄弟と比べられていつも自分だけ馬鹿にされた
→○社会は厳しいから、親なりに子供に競争心を植え付けようとしてくれたんだ。ありがとう!

・×人が遊んでいるときに自分だけ勉強ばかりさせられた
→○たくさん勉強したおかげでいろんな知識が身についた。ありがとう!

・×親に「お前は生きる価値がない」と言われ辛かった
→○親は子供の成長を考え敢えて厳しい言葉で指導してくれた。ありがとう!

このような作業を「日常生活の出来事」についても実践してみるとよいでしょう。

厳しすぎる親に育てられた人は、身の回りに素晴らしい出来事がたくさん起きていたとしても、いろいろなものを持ち合わせていても、それらを見逃してしまい幸せを感じにくくなっているからです。

ですから、日常生活を送るなかで、うっかりマイナスな言葉を発してしまったら、その都度、プラスの言葉に置き換えるようにしてみるのです。

例えば、朝起きて雨が降っていたら、「今日は雨か・・最悪だ!」なんてつぶやいてしまったら要注意です。

「いやいやそうじゃない!」と立ち止まって、そのマイナスな言葉をプラスの言葉に置き換えられないか考えてみるのです。

例えば「今日は心地よい雨の音を聴けるし最高の日だな!」「雨で庭の花が元気になれるから良かった~!」みたいにプラスの言葉に言い換えてつぶやいてみる。

すると、「雨の日って結構素敵なことなのかも?」なんて思えてきて気持ちがワクワクしてきませんか?

他にもこんなふうに言い換えてみてはいかがでしょうか?

・×仕事って嫌なことや辛いことばかりだ。
→○やる仕事があるおかげで生活をできている。ありがたいなあ!

・×職場に行けばいろんな人間がいて気を遣うな
→○いろんな人間がいるから動物園にいるみたいで楽しい。面白いなあ!

・×信号が赤になった。今日はついてない
→○交差点付近の風景を楽しめる絶好の機会だ。ラッキー!

・×家族に病人がいて旅行の一つもできない
→○健康や命の大切さを考える貴重な機会だ。ありがとう!

・×会社をリストラされた。運が悪すぎる
→○自由の身になれたし、新しいことに取り組むチャンスだ。ありがたい!

・×挫折と失敗ばかりの最悪の人生だな
→○挫折と失敗のお陰でいろんな人の痛みが分かり成長できた。運がいい!

みたいに、日々の暮らしのなかで、ついネガティブ思考でものごとを考えてしまったら、一度足を止めて、プラスの言葉に言い換えてみる。そういった作業を日々の中で何度も何度も繰り返す。

そうすることで、次第にものごとをポジティブ思考で捉えることができるようになっていくのではないかと思います。

最初のうちは考え込んでしまうかもしれませんが、慣れてくれば発想が自由になっていくことで自然にこなせるようになっていくものです。

ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人の違いは、そのようにものごとに対して「一見するとマイナスなもの」を「プラスなもの」に解釈する習慣があるか否かの少しした違いにすぎません。

「怒られること」に対しても同じくで、怒られることをバネに飛躍できるか、それとも心が折れて立ち直れなくなるかの違いは、怒られることを「プラスなものとして解釈できるか否か」にあるのだと思います。

いずれにしても、物事の捉え方をちょっと変えてみるだけで、沈んだ気持ちを一瞬にして明るい気持ちに変えることができるのです。

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改善策②無条件で自分を愛する

厳しすぎる家庭で育った子供の特徴として「自己肯定感が極めて低い」というものがあります。

例え容姿端麗で素晴らしい経歴や才能を持ち合わせていたとしても、何故か「自分はつまらない人間だ」「私はダメ人間だ」みたいに考えてしまう人がいます。

素晴らしいものをたくさん持っていながら自己を否定的に考えてしまう原因は、「何かを成し遂げなければ自分には価値がない」というふうに思い込んでいる思考回路にあるのではないかと思います。

それは、おそらく子供のころに親の期待する成果を出せなかったら、心ない言葉でひどく怒られ続けたような辛い過去があったからだと思います。

人は他人の期待に100%応えるなんてできるものでもありません。いくら努力してもうまくいかないときはうまくいかないものです。

それなのに失敗したら無条件に怒られるようなことが続けば、「期待に応えられない自分=価値のない人間」と考えてしまい、自分自身のことをどんどん嫌いになっていってしまいます。

外交的な人ならともかく、内向的な人の場合、そのモヤモヤした気持ちのはけ口がなく、ストレスを蓄積させてしまいます。その結果、自己喪失感とひどい自己嫌悪を感じてしまいやすいのです。

そういった良からぬ思考回路を断ち切るためには、「条件付きで自分を愛する」のではなく、「無条件で自分を愛する」必要があるでしょう。

「無条件で自分を愛する」というのは、誰かの期待に応えられなくても、失敗ばかりの自分でも自分自身のことを好きでいつづけるということです。

そもそも人間は、がんばって誰かの期待に応えなくても、他人から愛されるし、それぞれに十分すぎるほど価値があります。何か成し遂げなければ価値がないなんてことは、絶対にないはずなのです。

例えば、ペットを飼われている方なら、ペットが逆立ちして歩行したり、回転ジャンプでエサをキャッチできるなんて芸当を期待するでしょうか?

「そんなことできなくても構わないよ。その場に存在しているだけで十分価値があるよ」と考えるのではないでしょうか?

ペットが「逆立ち歩行できないと自分は飼い主から捨てられるかも・・」などと不安に思っているとしたら、それはやっぱり変だし憐れなわけです。

人間も同じくです。秀でた面がなくても、他人から出来が悪いと言われようとも、その場に存在しているだけで十分すぎる価値があるのです。

人それぞれ素晴らしいものをたくさん持っています。それを「自分はつまらない人間だ」と考えてしまう人は、単にそれに気づかないだけなのです。

ましてや、自分のことを慕ってくれたり好んでくれている人がこの世にひとりでもいるならば、それは自分に「価値がある」ということを示す証明書と同じことなのではないでしょうか?

本来、素晴らしいものをたくさん持っているにも関わらず、それらを喜ぶことができなくなってしまっている。まさに「宝の持ち腐れ」状態なのです。

その「宝」は「無条件で自分を愛する」ということによって再び光り輝くようになるのです。

では「無条件で自分を愛する」ためにはどうすればいいのかというと、「自分の素晴らしい点」を日々数える習慣をつけることが有効だと思います。

例えば

・私は雨風をしのぐ家に住めていて幸せだ!
・何でも相談できる友達がいる私は幸せだ!
・いろんな体験をできている私は幸せだ!
・家族が皆健康で、私は幸せだ!
・平和な国に生きている私は幸せだ!
・今日も生きている私は幸せだ!

みたいに、自分の持ち合わせている「宝」を発見し、それを「幸せだ!」としみじみ感謝する機会を増やすのです。

「楽しかったこと」「うれしかったこと」「感動したこと」「心温まったこと」・・単に見逃しているだけで日常にはそんな宝物がいっぱい転がっているはずなのです。それを探して、それを持ち合わせている喜びをじっくり味わってみるのです。。

頑張って何かを成し遂げなくても、努力して自分を変えなくても、今の自分で十分すぎる価値がある。その認識作業を何度も何度も繰り返す。そうすることによって、次第に自己肯定感が高まってくるはずです。

なお、「無条件で自分を愛する」ためには「ホ・オポノポノ」を導入するのも効果的だと思います。

「ホ・オポノポノ」とは何なのかというとハワイの伝統医療者モーナ・ナラマク・シメオナ女史が発表した「自分の記憶をクリーニングするための4つの言葉」です。

その4つの言葉とは

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許して下さい」
「愛しています」

です。その4つの言葉を日常生活において繰り返し言うことで、自分自身の心の闇が浄化されていき、無条件で自分を愛することもできるようになるといわれています。

例えば、「性格が暗い」という面を卑下している人がいたとします。

それに「ホ・オポノポノ」をあてはめてみましょう。

「性格が暗い自分でごめんなさい」
「性格が暗い自分を許してください」
「性格が暗い自分、ありがとう」
「性格が暗い自分を愛しています」

いかがでしょうか?

あるいは、厳しすぎる親から「お前は出来損ないだ!みたいに罵倒されたことがトラウマになっている人がいるとしたら、それについてもあてはめてみます。

「出来損ないの私でごめんなさい」
「出来損ないの私であることを許してください」
「出来損ないの私、ありがとう」
「出来損ないの私を愛しています」

なんだか不思議と元気が出てきませんか?

自分自身の嫌いな部分に敢えてスポットを当てて、それに感謝の気持ちを持つことで、「嫌い」という状態が解消されるのです。

そういった思考を繰り返すことによって過去のトラウマも次第に浄化され、無条件で自分を愛することができるようになっていくことでしょう。

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その他①(おとなしい人は)自分の本心を表現する習慣をつけるべし

厳しすぎる親に育てられた人は、自分の考えを表現することを苦手とすることが少なくありません。 子供のころに親の顔色をうかがいながら、自分を押し殺してきたわけですから、そうなってしまうことは仕方のないことです。

しかし、自分を押し殺していてはストレスが溜まって息苦しさを感じることでしょう。

その息苦しさを改善するためには「自分が本当にしたいことを実際にやってみる」ということが有効です。

例えば、友達数名で喫茶店に行って、みんなコーヒーを注文したとします。しかし自分はオレンジジュースを飲みたいとします。

それなら「私はオレンジジュースで!」と深く考えず注文すればいいわけですが、厳しすぎる親に育てられた人はそれができません。その気持ちを押し殺して、コーヒーを注文してしまいます。

その理由は、「他人と違うことをしたら、他人からどう思われるか怖い」というふうに思っているからだと思います。自己肯定感が低いため、自分自身を表現することに抵抗があるのです。

そんな状態を改善するには、実際に行動を起こしてみることがベストです。

皆がコーヒーを選んでも、思い切ってひとりだけ「オレンジジュース」を選んでみるのです。勇気がいるかもしれませんが、きっと誰も嫌な顔をしないはずです。それを確認して「自分の意見で選んでいいんだ!」と思えれば一歩前進というわけです。

もし誰かが「ここの喫茶店の名物はコーヒーなのに、コーヒー注文しないなんてもったいないよ~」なんて言ったら、「私はオレンジジュースが好きですし、オレンジジュースで!」と笑顔で返答すればいいのです。

他人の顔色をうかがって自分の行動を決めるのをやめ、自分の本心を、日常の中でしっかり主張する。そこでは「他人は他人、自分は自分」と割り切って考える。

その思考回路が習慣化したとき、得体のしれない息苦しさから解放されていくと思います。

一方、避けたいことかもしれませんが、辛い過去を振り返って「自分自身を表現する」という作業も改善のためには必要になってくるかもしれません。

「過去と向き合って自分を表現する」行動をうまく行う手段のひとつとして「出さない手紙を書く」という方法を少し紹介したいと思います。

紙とペンを用意してください。そこに、子供のころ、自分の感情を抑圧していた場面を思い出し、そのとき、本当はそのとき自分はどうしたかったのかを書いてみるのです。

例えば、厳格な父親から「勉強に支障がでるから習い事のピアノなんて辞めてしまえ!」なんて言われ、続けたいという本心を押し殺して、反発せずその通りにしたとします。

そんな辛い思い出が思い浮かんだら「ピアノは楽しいし続けたいんだよ!たまには子供意見も聞け!」なんて書いてみる。

「出さない手紙」は実際に投函しないわけですから、どんなにきつい言葉であっても、自由に書くことができるので安心です。

自分が過去において本当に言いたかった言葉、相手に伝えたかったことを、過去に振り返って自由に表現してみるのです。

そうすることによって、過去に抱いていた心のなかのモヤモヤが解消されていき、次第に自分自身を自由に表現できるようになっていくかと思います。

その他②置かれている環境をチェックする

あと、チェックしておけばよいと思うのは、普段よく交流する人々たちが どんな思考回路の持ち主なのかということです。というのは「考え方の癖」というのは 伝播するものだからです。

特に心が繊細な人の場合、身近にいる人間の考え方に影響されやすいので要注意です。もし普段よく交流のある人が否定的な人ばかりならば、思い切って環境を変えるというのも、状況改善のためには有効だと思います。

例えばある友達と一緒にレストランに行って「食事がおいしくないな」と思わず口に出してしまったとします。

すると一緒にいた友達も「ほんとまずい料理だね。店員にクレーム言ってくるよ」みたいに言ったら そういう相手とはあまり交流しない方がよいかもしれません。

「確かにそうかもしれないけど、彩りが綺麗だししっかり栄養を摂れそうで良いんじゃない?」みたいに、相手の意見を受け入れつつもポジティブな発想できる人と交流するのが良いと思います。

そうすることで「プラス思考」が伝播して、自ずと自分もプラス思考になっていけるからです。

あと、プラス思考でものごとを考えるためには、健康面を整えるということも重要です。病気になっていないか、睡眠は十分とっているかなど健康面のチェックもしておくとよいでしょう。

体調が良くないと思考回路を変えようとしたところで、精神面での安定感を保てずうまくいかないからです。

精神面においては、日光を浴びて定期的に運動をすることで、脳内神経物質セロトニンが分泌されやすくなり精神が安定しやすくなるといわれています。

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怒られる恐怖心を解消するにはどう考えればいいか?

ではそれらをふまえたうえで、最後に「怒られることに極度の恐怖心を持つ人」が怒られることの恐怖心を解消するための考え方について述べてみたいと思います。

個人差あれど「怒られる」ということは嫌なものですし、不安や恐怖を感じることだと思います。ですから、その心理的問題を解決するためには「怒られる」ということの意味付けを変えてしまうことが必要だと思います。

そもそも、誰かが「怒る」ということは、怒りの対象になっている人に対してのみ向けられているのでしょうか?

いえ、そうとは限らないと思います。

例えば、
・家庭でうまくいっていなくて、ムシャクシャしている
・理不尽なことで顧客から叱られて不満を誰かにぶつけたい
・劣等感を刺激されてそのモヤモヤを解消したい
・株や博打で損失をしてイライラしている
・体調が悪くて気分がすぐれない

など何らかの事情がある場合もあるのです。例えば少しミスしただけで数10分も説教したり、机を叩くなど暴力的な怒り方をする。そんな人は、その場と違うところに怒りの対象がある可能性が高いです。

自己肯定感の低い人に限って「怒られたのは自分に全ての原因がある」と考えて反省しがちですが、それは止めたほうがいいでしょう。

例えば、パチンコで大損した会社上司から些細なことで数10分叱られて、「私がすべて悪いです。深く反省しています」なんて反省するというのは滑稽な話です。

その上司が怒っている原因は、パチンコに負けたことで生じるストレスだからです。

たまたまそのストレス解消の矛先となった人間がわざわざ反省する必要など全くないのです。

人が怒っている原因は、怒っている本人しか分からないもの。それは初対面の人であれ肉親であれ同じことです。血縁関係にかかわらず、所詮は「他人は他人、自分は自分」なのです

ですから、誰かに怒られたとしても、「自分にとってプラスになるところだけ受け入れて、あとは聞き流せばいい」くらいに考えておくのが良いと思います。

あまり深刻に考えないほうがいい理由は、相手が何に対して怒っているのか、判断できない部分があるからです。

なお、的が外れていてもその人なりに相手を思って真剣に怒ってくれているというケースもあります。

例えば、ズボンの裾にシワが入っていることを会社上司から人格を否定する言葉で激しく叱られたとします。

その言葉を額面通りに受け取ってひどくショックを受けてしまうかもしれませんし「それくらいいいじゃないか!」と反発心が湧くかもしません。

しかし、その人なりに相手を思って一生懸命怒ってくれている場合、悪意はないわけですから「何か事情があるんだ。ありがとう」というふうに、感謝の気持ちをもって捉えたら良いと思います。

その人自身、厳しすぎる親に毎日叱られて育てられた過去があったのかもしれないですし、あるいは、スーツにシワが入っていたことが原因で致命的な失敗をしたみたいな出来事があったのかもしれません。

怒るということは、その人なりに「何らかの事情」があるのです

ですから、そんな場合は、その人なりに相手のことを思ってエネルギーを使ってくれているのですから、「わざわざエネルギーを使ってくれてありがとう」と心の中で感謝の言葉をつぶやくとよいのではないでしょうか。

怒っている人の怒っている原因は、結局は本人しか分からないものなのです。分からない以上、全面的にその怒りの言葉を受け取る必要などありません。

自分にとってプラスになるところだけ取り入れてあとは聞き流すくらいに考えればいい。そう考えることで気持ちがラクになります。

まとめ

しすぎる親に育てられた人は、怒られることを極度に恐れ、幸せを感じにくい傾向があります。

それは、「他人の期待に応えなければ自分が評価されない」という思い込みがあることと、ものごとをマイナスに捉える習慣があるからです。

その状態を改善するためには、過去と向き合ってマイナスな記憶をプラスなものに言い換える作業をしたり、今の自分でも十分すぎる価値があることを再認識するといったことが有効です。

日常生活においても、ネガティブな発想をポジティブな発想に変えていく。何も成し遂げていなくても、無条件で自分を愛する。

そういった作業を積み重ねていくことによって、自己肯定感が上がり怒られることに対する恐怖心も解消されていくと思います。

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