幸せになるためには「がんばらなくていい」という発想も必要だと私が考える理由

日本人は働き者で勤勉な国民性を兼ね備えていると言われます。がんばりつづけて成果を出すことが重んじられ、それが生産性にも結びついていて先進国の仲間入りを果たせたといっても過言ではないでしょう。

しかし、経済や科学技術の発展に伴って人々の幸福度が高まったのかというと、残念ながら先進国の中で極めて低い水準にあるというのが現状です。

日本人の幸福度が低い理由、そのひとつは皮肉なことに「がんばりつづけて成果を出すこと」に価値の比重が置かれすぎていることにあるのではないかと私は考えています。

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がんばって成果を出す発想だけでは心は満たされない

日本人は「がんばれ」という言葉が大好きです。勉強や仕事などで事あるごとに「がんばれ」という言葉を幾度となく投げかけられてきたのは私だけではないでしょう。

教育現場においては、子供は小さいころからがんばってたくさんのことを暗記し、テストでは与えられた時間内に正解を出すことが求められます。

もしそれができなければ減点の対象となり、叱られたり蔑視されたりして、自分の評価を落とす結果になってしまいます。

また仮にがんばって期待される成果を出したとしても、結果を出し続けなければならないという不安にかられる人も少なくありません。

そういったことを考えると、がんばって成果をだすことだけ考えていても、人はなかなか幸せを味わえないということが言えそうです。

常に何かに怯え、不安に駆られていなければならないからです。

「がんばる」という動機が、興味や探求心など自分のなかから湧き上がってくるものならよいのかもしれません。

しかし動機が「がんばらないと自分の評価が落ちてしまうから」「他人の期待に応えなければ叱られるから」といった「他人の目」を意識したものであれば、精神的に辛くなってしまうことでしょう。

なぜなら、期待される結果を出せなかったとき、他人からの評価を落とすことになり「自分は幸せではない」という結論を導きやすくなるからです。

そして仮に望まれる成果を得たとしても、その状態がいつまでもつづくとは限りません。人間の欲は際限ないものだからです。

得たいものを得たら一時的な幸福感は味わえても、次はそれを失う恐怖を感じ、一方でまた違うものに欠乏感を感じます。そしてそれを持っていない自分は不幸な人間だと考えてしまうのです。

「このポストに就きたい」「もっとお金が欲しい」「これを得なければ自分は幸せになれない」・・

そういったことを考えてしまうと、人間の欲というものはキリがありません

なぜなら、世間には上には上がいる以上、他者と自分を比較しては足りないものが延々と出てきて、どこまでいっても自分自身に満足することができなくなってしまうからです。

例えば「飢えをしのぐお米が欲しい」と考えている人でも、「足りないものを得ること」だけ考えていると、いざそれを得たら次は「たくさん食べたい」という心境になることでしょう。

そしてそれをがんばって叶えられたら、次は「高級料理を食べたい」「もっと贅沢な暮らしをしたい」など際限なく欲が膨らんでいくのです。

最初は茶碗一杯のご飯で満足できていても、それだけでは満足できなくなり、次から次へと不満がでてきます。すると、どこまでいっても不安感と枯渇感から逃げられない悪循環に陥ってしまうのです。

その理由は「がんばって成果を出すこと」に価値の比重が置かれすぎているからに他ありません。

得たいものを得るためにがんばるという発想だけでは、「足りない部分」を探すことにばかり意識が向いてしまうのです。

もちろん、現状に満足することなく高みを目指していくことはよいことだとは思います。

しかし、「足りないもの」を得ることばかり考えていては、際限なく膨らむ欲から、幸せを感じにくい心理状態に陥ってしまいやすくなってしまいます。

すると、物質的にいくら豊かであっても、「毎日がつまらない」「自分は不幸な人間だ」といったネガティブな言葉が自然と出るようになってしまうのです。

幸せを感じるためには「バランス」が大切なのです。

何のバランスかというと、「欲を持つこと」と「欲を持たないこと」のバランスです。

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がんばらない自分も承認する


「がんばって結果を出しつづけなければならない」。そう常に考えていると、どんなに心の強い人でも疲れ果ててしまいます。

他人と比べて「足りない部分」を自ずと探すようになるからです。

他人が持ち合わせていて自分が持っていないものにばかり目がいくようになると、自分の至らなさを痛感して必要以上に「反省」をしてしまう場面も多くなるでしょう。

殊に真面目で心が繊細な人は、自分の抱えた問題を解決せねばという気持ちが人一倍強いため要注意です。

「どうして自分はこんなに至らない人間なのか・・」
「なぜこんなに私だけ不遇なんだろう・・」

みたいなネガティブな気持ちが湧き上がってきやすいのです。そういった心理状態では人はなかなか幸せを感じることはできないというのは言うまでもないでしょう。

その心理状況を克服するためには「がんばって成果を出さなくてもいい」、つまり「がんばらなくていい」という発想を持つことが重要な要素ではないかと私は考えます。

ただ私がいう「がんばらなくていい」というのは、ラクをしてゴロゴロして怠けるというのとは少しニュアンスが違います。

がんばらない自分をも承認する」という意味です。もちろん頑張って成果を出した自分も高く評価するけれども、そうでない自分も高く評価してあげましょうということです。

では、どうすれば「がんばらない自分」も承認できるのかというと、自分が持ち合わせているものだけで満足する時間を持つことです。

がんばらない自分でもOK」「成果を出さなくても私は素晴らしい人間だ」といったように、がんばって成果を出せない自分をも承認するのです。

そのように考えると、自分に足りないものがあってもそれを無理に得ようと思わなくなり、一気に気持ちがラクになるはずです。

例えば、友人が「今話題の、高級な腕時計を買いましてねえ」と自慢話をしてきたとします。

そんなとき、頑張って何かを得ることばかり考える人は、条件反射的に「うらやましい」という感情と「負けたくない」という気持ちが生じることでしょう。

すると「自分も欲しい!」となり、それが高じると「その腕時計を手に入れないと自分は幸せになれない」という誤った思い込みをすることにつながってしまいます。

他人が持ち合わせているものをうらやましく思い、それを自分も欲しいと思うこと。それこそ「不幸の入り口」なのです。

もちろん、他人に憧れをもち、その気持ちを努力の原動力にするのは非常に結構なことです。ただ、そればかりを考えてしまうと精神的に苦しくなってしまうことでしょう。

なぜなら、その足りないものが得られなければ自分自身を承認することができなくなってしまうからです。

そうならないためには、仮に足りないものが得られなくても、「自分は十分幸せだ」と満足する発想が必要なのです。

他人のものを見て「これ欲しい!」と思ったとしたら「いやいや、そうじゃない」と自制する。そして、「今の自分が持ち合わせているもので満足できないかな?」と考える機会をつくるのが必要なのです。

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今の自分で満足する時間を持つ

今の自分が持ち合わせているもの」については、例えばこのようなことがあるのではないかと思います。

・寒さをしのぐ家があるので十分満足です
・今日も家族が元気でいてくれるので十分満足です
・信頼できる友人がいるので十分満足です
・眼、耳ほかさまざまな器官が機能していて十分満足です
・過去に良い想い出がたくさんあって十分満足です
・勉強をしていろんな知識があるので十分満足です
・戦争のない平和な時代に生まれて十分満足です
・飢えをしのぐ食べものがあって十分満足です
・今日も生きていて呼吸をしているだけで十分満足です

などなど。何でもいいのですが、自分が現時点で持ち合わせているものを満足感をもって味わう。そんな時間を一日のなかでつくってみるとよいと思います。

すると、何かが変わってくるはずです。なぜなら、日常生活には幸福感を感じられる原石がたくさん転がっていることに気づくだろうからです。

例えば「呼吸をして今生きている」ただそれひとつとっても、考えてみたら神秘的で十分価値のあることではないでしょうか?

血液が循環して様々な器官が働いて生命が維持されている。何とも奇跡的でありがたいことではないでしょうか?

「そんなのごく当たり前のことだよ!」「普通過ぎてありがたくもなんともない!」なんて思わずに、一歩立ち止まり感謝しながら味わってみる

最初のうちは馬鹿馬鹿しく思えたとしても、それが習慣になると心に変化が生まれてくるはずです。

なぜなら日常生活において、「不足しているもの」を数える機会が減り、自然と「プラスのものごと」を探すように思考回路が変わっていくからです。

一見すると平凡な暮らしのなかでも、ふと立ち止まってみれば、素晴らしいことがたくさん転がっているもの。

平凡に思える毎日を幸せな気持ちで送るために意識しておきたいこと

「自分は何も持ってないし不幸です」「苦労ばかりで運が悪い人間だ」などと考えている人も、ひょっとしたら、たくさん転がっている幸せの原石を見逃してきただけなのかもしれません。

「当たり前のことだ」と思っていることが実は「幸せのカケラ」だったりするもの。それらをできるだけ見逃さず拾い上げて、感謝しながら深く味わってみる。そうすることで、それらはキラキラと輝きを放つ宝石になります。

世間では、良い学校を出て良い会社に入り、お金をたくさん稼いで裕福な暮らしをすることで人は幸せになれると考えられています。

そうできればそれに越したことはないかもしれませんが、もしそうできなくても人は十分幸せになれると私は思います。

他人と比べて贅沢な暮らしをしなくても、他人と比べて秀でていなくても、人はただ今生きているだけで十分価値があるのですから。

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今の自分に満足することで人間関係も円滑に

ありのままの自分を受け入れるためには「がんばらない自分でも十分な価値がある」と考えることが重要です

そこで肝心なのは、友人や知り合いと比較して「上か下か」ですとか「平均値と比べてどうか」など一切考えないことです。

自分自身が持ち合わせているものを数えてそれだけで満足する。もし満足できなければ、どう考えたら満足できるのかを考えてみる。

そのような発想で物事を考える時間を持てば、さまざまな面で人生は良い方向に展開していくと思います。

例えば人間関係が楽になっていくこともそのひとつです。なぜなら、ありのままの自分を承認することで、他者も承認していくことができるようになるからです。

自分自身を大切にするようになると、他者にやさしく接する精神的余裕が生まれてきます。

人は不満ばかり言って自分の欠点を指摘してばかりいる人より、長所を発見し褒めてくれる人を好むものです。

その褒める側に自然となることで、他者との人間関係も円滑になっていくのです。

豊かさを他者に与えることの重要性

自分自身も周囲の人間も皆笑顔になっていく。その好循環によりさらなる幸せの輪が広がっていくことでしょう。

人生には他者との競争に勝って成果を挙げることが重要な場面もあります。ただそればかり考えるのではなく、「今の自分に満足すること」も幸せになるためには欠かせない要素だと私は思います。

人生が何らかの「修行」としての意味があるならば、「がんばって新しいものを得る」課題がある一方で、「欲を出さず、当たり前のものごとに感謝する」という課題もあるのではないかと思うのです。

まとめ

日本では「成果を出すためにがんばる」ことに大きな価値が置かれてきました。しかし、それだけでは人はなかなか幸せを享受することはできないと思います。

もちろん高みを目指してがんばる姿勢は大切ですが、その一方で、今の自分が持ち合わせているものだけで満足するという発想も必要なのではないかと思うのです。

頑張らない自分でもOK,存在しているだけで十分すぎる価値があると考えてありのままの自分を承認する。そうすることで気持ちが一気に楽になりせの輪が広がっていくように思います。

「欲を持つこと」と「欲を持たないこと」のバランスが重要なのです。

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