他人からの評価を極度に怖れる人の心理とその性格改善のための4つの視点


日頃、他人からの評価が怖くて仕方ないという方はおられませんか?

誰しも他人から嫌われることは望まないものですから、他人からの評価が落ちることを避けたい気持ちが生じるのは当然のことだとは思います。

しかし、他人から評価されなければならないという気持ちがあまりに強すぎると、ストレスがたまりやすく幸せを感じにくくなるなどの問題が生じるのではないかと危惧します。

そこで今回は、他人からの評価を過度に怖れる人の心理とその性格を改善をするための4つの視点について述べてみたいと思います。

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他人から評価されることを目標にすることの問題点

他人から評価されることを極度に怖れる人は、人に会うこと自体を避ける傾向があります。人と会わねばいけない場面が訪れるたびに緊張を強いられビクビクしがちになるのです。

それは、「自分の評価は他人が決めるものだ」というふうに日頃から考えているため、他人の言動や態度が気になって仕方がないからだと思います。

なぜそこまで他人の言動や態度が気になるのかというと、相手が自身のことを低く評価する、あるいは特別に扱ってくれないとひどく傷ついてしまうからだと思います。

その「傷つくかもしれない」未来リスクを何とか避けねばならないと考えるため、強い緊張や不安を感じつづけなければならないのだと思います。

例えば、初対面の人が多い交流会に行って誰も話しかけてこなかったとしましょう。

そのような状況の場合、普通なら「こちらから話しかけにいこう」という気持ちに切り替えができるかもしれません。しかし、他人から評価されねばならないと考える人は特別扱いされないことで傷ついてしまいます。

「自分は、誰からも話しかけらるに値しない無価値の人間なのではないか?」というふうに自身のことを否定的に考えることに思考が向かってしまいます。

話しかけて来る人がいない理由は、単に顔見知りがいないというだけなのかもしれません。あるいは話しかけたいと思う人がいても先方が緊張して行動できないでいるのかもしれません。

しかしそういったさまざまな可能性については考える余地がなく「自分に価値がないから誰も話しかけてくれないのだ」というふうにネガティブに考えてしまうのです。

それは、自身の評価そのものを他人がとる行動に依存しきっているがためだと思います。

そこで問題になるのは、その考え方を一貫していては他者から高く評価されたときにしか満足感を得られないという点です。

実際問題として、他者から常に高く評価されるということは非常に高いハードルだといわざるをえません。なぜなら現実社会においては、上には上がいるものですし、人によって嗜好も価値観もさまざまだからです。

いろいろな魅力を兼ね備えていたとしても、万人が高く評価するかというとそうとは限りません。

また、他者の評価ばかり気にしていると、評価されたとき一時的な満足感は得られてもそれは決して長続きしないものです。なぜなら、得たいものを得たら次はまた違った足りないものを探してきて枯渇感を感じてしまうだろうからです。

たとえば、アルバイトをがんばって欲しかった高級ボールペンを買ったとします。その喜びを友人に告げたところ「な~んだ。ボールペンなんて高級品も安物でも同じだろ」と無関心な返事が返ってきたとします。

普通ならば誰が何と言おうとも、欲しいものを手に入れた喜びは変わらないものです。しかし、他人からの評価ばかり考えている人は、ひどく傷ついてしまうことでしょう。

なぜなら、自分が喜べる基準が「目標を達成した」ということにあるのではなく「他人から評価されること」に定められているからです。

幸せを感じるという観点からすると、同じ目標をクリアしたとしても前者のほうが大きな幸せを享受できるというのは言うまでもないでしょう。

では一体どのように考えれば、他人からの評価を過度に怖れる人はその性格を改善していけるのでしょうか?その方策としては以下の4つの視点で物事を考えることが有効ではないかと考えます。

①他人に依存しすぎない
②他人を変える努力をしすぎない
③自分の本心からとる行動を決める
④感動と感謝をもって「今」を味わう

次は、それぞれについて述べてみたいと思います。

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①他人に依存しすぎない

他人から評価されることを極度に怖れる人は、人を避けながらいつもビクビク過ごしています。

それは自分の評価を全面的に他者に委ねているから。他者から褒められたときだけはうれしく感じ、自信も持てる。けれども、そうでなかったときは傷つき自信を失ってしまう。

だから、自分が傷つくことが怖くなり、他人の言動や態度に敏感に反応しては、オドオドしいなければならないのです。他者への依存度が高いということは自分のなかが空洞化していることを示します。つまり、他人の反応によって感情の浮き沈みが大きいということです。

その不安定な心理状況下ではどうしても心が疲れやすくなり、安心感もなかなか得られないでしょう。

その状況を改善するためには、まずは、「他人」という存在の概念を書き換えることが必要だと思います。

他人からの評価を過度に気にする人は、おそらく過去に支配的な人と深い関わりがあったことが考えられます。例えば、ご両親が支配的な方で、子供時代に自分の意見を言うことが許されず過ごしたなど。

そのような被支配の状況下では親は絶対的存在であり、親からの評価が自分の評価そのものになります。

親の期待に応えられなかったとき、必要以上に叱られるなどしたならば、条件反射的に他人の顔色を気にするようになります。そして自分の頭でものごとを考えることができなくなり、得体も知れない不安に怯えながら生活を送ることを余儀なくされていくのです。

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自分の本心を圧し殺し、他人の顔色を見ながら一喜一憂をせざるをえない。そんな毎日を送ることを余儀なくされていたら精神的に疲弊してしまうのも当然のことです。

その状況を改善するためには「他人は他人。自分は自分」と割り切って考えるのが良いのではないかと私は思います。また「人の態度や言動は案外あてにならないものだ」と認識することです。

今まで交流のあった人のことを考えてみてください。

その日の気分によって態度が変わる人もいれば、体調によって機嫌が良くなったり悪くなったりする人もいたのではないでしょうか?

あるいは、ぶっきらぼうで怒っているように見える人が、実はやさしかったり、おとなしい人が意外とキツい人だったりもするものです。

結局、他人の態度や言動といったものは、あまり当てにならないものだということなのです。

それなのに、そういった表面的なものをもってして自分自身の評価そのものにしてしまうというのはやはり無理があるのです。

ですから他人からの評価は、気にはしても「ほどほどにとどめておく」くらいにとどめておくのがよいと言えるのではないでしょうか。

そして、人が一定数集まれば「よく思わない人がいて当然だしそれで構わない」くらいに軽く考えるくらいが良いような気もします。

②他人を変える努力をしすぎない

①では「他人からの評価」を絶対的なものと考えないほうがいいということを述べました。それと関連することでありますが「他人を変える努力をしすぎない」ということも重要ではないかと私は考えます。

他人からの評価を極度に怖れる人は、交流が浅い他者については交流を避けるようにオドオドして行動します。しかし、ある程度交流が深まってきて一定の垣根が取っ払われると、次は「心の不安」を埋めるために相手を支配する方向に心理が働きがちになります。

そうすることで孤独感が癒され、相手に否定されて傷つくリスクも回避できるからです。相手を束縛しがちな人はひょっとするとそういった不安の心理がその行動に表れているのかもしれません。

しかし、人によっては相手のペースで行動をすることを居心地よく思わない人もいます。なかには反発心を持ってその関係性を解消したいと思う人もいるでしょう。

ですから、もし相手が自分の期待通りに行動しなければストレスを感じてしまい、双方がかみ合わず相手との衝突も起きやすくなってしまうというわけです。

相手に足りないところを指摘して改善して欲しいと欲求することが良い結果を招くこともあるかもしれません。しかし、大抵は相手を不愉快にして亀裂を生むことになるでしょう。

ですから、不安を埋めるために行動すれば行動するほど、人がどんどん離れていってしまうという悪循環につながってしまいがちになるのだと思います。

そのような状況に陥らないためには、「他人は他人。自分が変えられるものではない」とまずは前提として考えておくのが必要だと思います。

もちろん相手に足りないところを指摘して変えられる部分はあるかもしれません。しかし、本来持っている性格や長年かけて形成された価値観はなかなか変えられるものではありません。

それらを指摘して無理に相手を変えることを考えるよりも、自分自身の考え方を変えて相手を受け入れていく方がストレスがたまりにくくなるようにも思うのです。それは状況によりけりでありますけれども。

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③自分の本心からとる行動を決める

他人からの評価を過度に気にする人は、「叱られるのが怖いから~する」、「嫌われないために~する」といったように消極的な動機で自身の行動を決めがちです。

自分の気持ちを強引に押し殺し、他人の期待に応えるために行動する。そういったことを重ねているうちに知らないうちに多大なストレスが蓄積されていきます。

とりわけ支配的な親の元で育った人は、自分の本心を押し殺してでも相手の期待に応えなければならないと義務的に考えがちです。

すると、窮屈な固定枠の中でしか動けなくなってしまい、それがさらなるストレスを誘発することになってしまうことでしょう。

例えば親がネガティブ思考の人で「旅行なんて金を使うだけだし無駄な行動にすぎない」と言って子供の頃、どこにも連れて行ってくれなかったとします。

子供は絶対的な存在である親から受け入れてもらいたいものですから、疑問に思いながらも「旅行みたいな無駄な行動はすべきでない」というマイルールをつくって以降の人生の行動を決めていきます。

インドアが好きな人ならまだよいかもしれません。しかし、内心あちこち旅行をすることにあこがれを持っていてその気持ちを押し殺していたとしたら・・。

そうなると、怒りと不満が無意識の中に心の中に蓄積されていきます。そしてそんな不満や怒りは「旅行なんてくだらない!」みたいな辛辣な言葉として第三者に向けられていくのです。

本当は自分も旅行に行きたいのに親が植え付けたマイルールがそれを阻み、本来満たすべき欲求が無理に押さえつけられている。そのような状況下では人はなかなか幸せを感じることはできないでしょう。

ですから誰かの行動を観てなぜかザワザワした気持ちになったなら「ひょっとして自分の本心がそこに隠されているのではないか?」と自問してみるのが良いかもしれません。

そして、自分の本心をじっくり考えてみてそれに沿った行動を起こしてみるのです。旅行に行ってきたという友達の話を聴いてそんな気持ちになったなら試しに旅行に行ってみると良いとでしょう。

もしそのことがマイルールにより抑え込んでいた自身の本心であるならば、行動を縛っていた「枠」が取り払われる可能性があると思います。

他の例では学生さんの場合、進路に関しても同じようなことがいえるのではないかと思います。周囲の大人が「これからは不況の時代が来るから安定性抜群の公務員になりなさい」と言ってきたとします。公僕として働くことや事務作業に関心があるならそれでも良いかもしれません。

しかし他にやってみたい仕事があるなら、そこはやはり一度立ち止まってみて自分の本心をじっくり考えてみるのがよいかもしれません。

なぜなら人には適性の有る無しがありますし、他人にとって価値のあるものが自分にとっても価値のあるものであるとは限らないからです。

人生の主役は自分自身です。ですから、他人の意見は参考にはしても「ほどほどにする」くらいの感覚がストレスをためないために重要なのではないかと私は思います。

「好きだからこれをやってみたい」という自発的な動機をもって行動をする。その感覚が重要なのです。

やってみたいことが分からなかったら外に出ていろんなものを観察したり、本を読んだり、自由に生きている友人に話をしてみたり。そういった行動も自分の本心を知りえる機会になるかと思います。

誰かに評価されるために何かをやるのではなく、したくもない努力を他人に言われて意味もなくするのではなく、「楽しそうだからやる」「やってみたいからやる」という自発的な動機で行動してみることが重要なのです。

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④感動と感謝をもって「今」を味わう

他人の評価を気にしてばかりいる人は、「未来のリスク」に対しても必要以上に敏感であるという特徴があります。

例えば、目の前に美しい花が一面に咲いていたとしても、それに目をくれることなく「明日の会議、大丈夫かな?失敗して叱られたらどうしよう・・」みたいに考えてしまいます。

あるいは、良い同僚に囲まれてやりがいのある仕事をしていたとしても「未来は日本経済はどうなってるか分からないし、老後が心配だ」などと遠い将来を考えて頭を抱えながら過ごしてしまいます。

確かに将来のことを考えて計画的に行動することは必要なことかもしれません。

しかし、未来という不確定要素ばかりのもの。リスクを回避するために対策をしてもきりがありません。

それなのに未来に対して思案することに一日の大半を費やしていては、なかなか幸せを感じとることは難しくなってしまうのではないかと思います。

なぜなら、未来のことに思考の焦点を合わせることによって「今起きている素晴らしい出来事」を見逃してしまう確率が高まるからです。

つまり、本来感じられるべき幸せに気づかないまま通り過ぎてしまうということです。それは非常に惜しいことだと言わざるをえません

そんな状況に陥ることを避けるためには、「今起きていること」に思考を向ける時間を意識的に増やすと良いと思います。そして五感を通してそれらを感動的に味わうということを習慣化してみるのです。

例えば公園を散歩していて「来月、苦手な人と会わないといけない。どうしよう?」なんて未来の不安でいっぱいになったとします。

そんなときは一歩立ち止まって「今起きていること」に意識を集中させてみるのです。そしてこの瞬間瞬間に起きていることを五感を通して感動的に味わってみるのです。

・この花の色彩、素晴らしいなあ
・木漏れ日がすがすがしいなあ
・良い香りが漂ってくるなあ
・そよ風が涼しくて気持ちいなあ
・水路の瀬音が心地よいなあ
・家族が皆元気でありがたいなあ
・呼吸をして今生きていることに感謝

そもそも未来がどうなるかなど誰にもわかりません。また、現在の世間的な常識が10年も20年も先に通用するとも限りません

それなのにせっかくの毎日を苦虫をつぶしたような表情で不平不満ばかりこぼして過ごすのはもったいないことです。

未来のリスクを想定し将来設計をしておくことはある程度は必要かもしれません。しかし起こるか起きないか分からないような将来のリスクばかり考えていては、「今起きている素晴らしいこと」をどんどん見逃してしまいます。

「今」という瞬間瞬間に起きている幸せな事を探す。そしてそれらを五感を通して感動的に味わうこと。それが幸せを享受するために大切なのだと思います。

一見すると平凡に映るかもしれない日常生活にも幸せな出来事がたくさん転がっているものです。

感覚を研ぎ澄ましてそれらをひとつでも多く見つけだし、感謝の気持ちを持ちつつ喜びながらそれらを味わってみてください。それを習慣化することで、幸せを感じる場面が格段に多くなっていくはずです。

まとめ

他者から評価されることを極度に怖れる人は、高く評価されたときでしか満足感を得られません。ですから、自身が傷つかないように絶えず他人の顔色や言動を気にしなければなりません。

そのような浮き沈みの大きい心理状況ではストレスがたまりやすく幸せを感じにくくなってしまいます。

その性格を改善するためには、「他人に依存しすぎない」「他人を変える努力をしすぎない」「自分の本心からとる行動を決める」「感動と感謝をもって「今」を味わう」の4つの視点からものごとを考えることが有効です。

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