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道路工事を前にイライラしてしまった経験からストレス蓄積を抑える方法を考えてみた


連日寒い日がつづいています。最近、不覚にもイライラしてしまったという出来事がありました。それは自宅から鉄道の駅に徒歩で向かおうとしたときのことです。

その日、私は急いでいました。出かける準備に時間がかかってしまい、乗ろうと思っていた電車が来る時刻が数分後に迫っていたのです。

そのとき横断歩道が青信号になりました。車道を渡ればもう駅が見えてきます。「良かった~なんとか間に合いそうだ」胸をなでおろしつつ横断歩道を渡ろうとしたときのことでした。

ガガガガガガガ!
ガガガガガガガ!

駅の方向から、けたたましい音が耳に響いてきました。なんと、駅のすぐ近くで道の舗装工事が行われていたのです。「うるさいなあ」と思いながらそのまま駅に向かおうとしたとき、警備員さんに呼び止められました。

「君、君、そっちじゃないよ!歩行者はあっちへ廻って!」

見ると、赤いロードコーンが駅とは違う方向に向かってたくさん並んでいました。駅へゆく歩行者はそれに沿ってぐるりと遠回りしなければならないようになっていたのです。「こんな急いでいるときに何という嫌がらせだ!」と心の中でそう思いました。

しかし工事をしていて通行できない以上、従うしか他ありません。イライラしながらもその指定された遠回りルートを足早に廻りました。ただ、歩行者用ルートは思ったより遠回りに設けられており、最後は駆け足で急いだものの、駅の入り口に差し掛かったところで電車は出発してしまいました。

「ああ、しまった。たくさん歩かされたせいで電車にも乗り遅れてしまった。工事の音うるさかったし、なんて運が悪い日なんだ」

そう思い、ふと振り返ってみると、真剣な眼差しで通行人を誘導している警備員さんと重機を作動している土木作業員さんの姿が見えました。

凍てつくような寒空の下で懸命に・・。粉雪が舞いおりてきてその風景が次第に霞んでいきます。その姿を見たとき、なんだか申し訳ない気持ちになりました。

工事現場の方々は、何も歩行者にいじわるをしようとして駅近くで道路工事をしていたわけではありません。

私たち住民たちが安全に行き来できるよい道をつくるため、そしてそれぞれの家族を養うためにお仕事をがんばっておられたのだと思います。

そんな懸命にがんばっている人々に対して、私はねぎらいの言葉ひとつもかけることなく、
事もあろうにイライラした気持ちになってしまったのでした。「しまったなあ・・」と後悔しました。

きれいに舗装された道を歩けること。当たり前すぎて、私はそのありがたみについて普段考えたことすらありませんでした。

しかし、もし普段通る道が舗装されていない凸凹の道ならどうでしょう?

歩行者なら転倒してしまうかもしれませんし、自転車なら手押しして多大な労力を強いられなければならないでしょう。また車やバスは通行することさえできないに違いありません。

舗装されたきれいな道を何も考えず行き来できるのは、工事現場の人々が昼夜を徹して作業をしていただいたおかげに他ありません。

そのありがたさを考えたとき「寒い中お疲れさまです!」といったねぎらいの言葉ひとつでもかけて差し上げるべきだったと思いました。

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相手の立場に立ち多様な考え方を受け入れることの重要性

街中で道がきれいに舗装されていることもそうですが、私たちはついついそういった身の回りに既にあるものを「当たり前のことだ」というふうに捉えてしまいがちです。

というより、「存在するのが当たり前だ」と考え気に留めることすらしないかもしれません。そして騒音など少しでも自分にとってストレスになるものがあれば、イライラして不満をこぼしてしまいます。

しかし、よくよく考えてみたら、私たちの生活に存在するものは、どれをとってみても
さまざまな人が人生という有限な時間を使い労力をかけてつくりあげた汗の結晶です。

机、椅子、ペン、眼鏡、時計、洋服、電話、テレビ、車、家・・数えたらきりがありません。

しかしそれらのありがたみを人はなぜか大人になるにしたがって感じなくなってしまいます。

「あるのが当たり前だ」
「もっと優れたものが欲しい」

などと考えてしまいます。どうしてでしょうか?

それはおそらく、成長する過程において、他者と自分を比較するようになり、自他に「~すべき」「~であるべき」といったマイルールを設けてものごとを考えるようになるからだと思います。

そして自分にとって利をなさないものや異質なもの、ストレスになるものなど、自身のマイルールからはみ出たものと接したとき、ついイライラして否定的な感情を抱いてしまうようになるというわけです。

もちろんケースによっては、イライラしたり怒ったりするべきときもあろうとは思います。しかし、「イライラしなくていい場面」においては、イライラしないよう極力心がけるべきではないかと私は考えます。

なぜなら、イライラする機会を減らすことにより、その分、日常において幸せを感じる機会が増えるだろうと考えるからです。


イライラする対象といえば、騒音やモノに対してだけではなく、対人関係についても同じことが言えると思います。自分と価値観が異なっている人、考え方が違う人、期待する行動をとってくれない人などを見かけたらイライラしてしまうことはありませんか?

いつも他人の行動が気になってばかりいる人などは特に要注意です。

もちろん相手の足りないところを見つけて指摘することにより感謝される場面もあるでしょう。

しかし、自分の都合だけでものごとを考え、イライラの感情から他者を責める行動をとるならば、それは自ら幸せを手放しているようなものだと思います。

なぜなら、常に誰かの欠点を探してばかりいると、自身も相手も不愉快な気持ちになりますし、「今」という瞬間に起きている幸せな出来事の数々を見逃しやすくなってしまうからです。

そのような状態に陥らないようにするためには、「いろいろな人の立場に立ってものごと
を考えること」が重要だと思います。そして「許容する範囲を広げる」という視点も必要になってくるのだろうと考えます。

自分のマイルールを他人にそのまま当てはめて良し悪しを判断するのではなく、あくまでも他人は自分と違うものだということを認識する。そして、多様な考え方や価値観があっていいものだと柔軟な姿勢を持つことがストレス軽減の鍵ではないかと思います。

例えば会社でサボっている人を見かけたとしたら人によってはイライラして激しい怒りを相手にぶつけることでしょう。

もちろん社益を考えたとき、即座に注意すべきケースはあるかもしれません。しかし、ひょっとすると、そのサボっている人は緩急をつけて仕事をするタイプの人かもしれません。あるいは体調が悪くて仕事への意欲が湧かないのかもしれません。いろいろな可能性があり、何らかの「事情」があるのです。

それなのに、自分の設けたマイルールからはみ出たものをすぐさま否定しようというスタンスを貫けば、どうしてもイライラする機会が増え、ストレスを蓄積しやすくなってしまうと思います。

ですから、誰かと接してイライラしそうになったならば、ひと呼吸置き、「この人は何らかの事情があるのではないか?」と相手の立場に立っていろいろな可能性を探ってみるのがよいのかもしれません。

自身のマイルールをもとに他人を無理に変えようとするのではなく、自分自身のものの考え方を変えてみる。そんな視点を持ってものごとを考えることで、ストレスは随分軽減されると思うのです。

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現代のストレス社会を幸せを味わいながら生きていく

現代社会はストレス要因に満ちています。騒音、人間関係、仕事など数えればきりがありません。しかし、それらのストレス要因は現実的に減らすことはなかなかできるものではありません。

それならば、周囲の環境を無理に変えようとするのではなく、自身の考え方を変えてみてはいかがでしょうか?

ストレス要因を目の前にしたとき、それに対して瞬間的にネガティブな感情を抱くのではなく、その環境のなかに何か「プラスの要素はないか?」と探してみるのです。

例えば苦手なタイプの人と会わなければならなくなったとします。「うっとうしいなあ」「嫌だなあ」などと悪いことばかり考えているとどうしてもストレスが蓄積されていきます。

それを「何かひとつでも学ぶことがあればいいなあ」といったポジティブ思考でものごとをとらえたらどうでしょう?随分気持ちがラクになるのではないでしょうか?

ものは考え方次第です。

辛いときもなるべくポジティブに出来事を捉え、笑顔で陽気に日々を過ごせるよう工夫をする。そういった生活習慣を確立できれば、幸せを感じられる機会は格段に増えていくのではないかと思うのです。

ではそのようなポジティブな発想をうまくできるようになるためには、どのようにすればいいのでしょうか?

それは普段「当たり前のこと」と思っているものを「当たり前だ」と安易に考えないことです。

「当たり前のこと」だと思っているものがいかに素晴らしく価値があることかということに気づこうとする姿勢を意識的に持つ。そしてそのありがたさを発見し、心から味わい感謝の気持ちを持つことを習慣にするのです。

どんな不遇な環境のなかでも、どれだけ苦境に立たされても、探せばそのなかに喜びや感動、学びが必ずあるものです。それらを発見し「ありがたいなあ」「素晴らしいなあ」と感謝と感動の気持ちをもって味わう。

どんな状況であれ、できるだけ肯定的にもものごとを解釈していけば、自ずとストレスはたまりにくくなるのではないでしょうか。
また仮にイライラする気持ちを抑えられなくても、それは自分自身を見つめなおすチャンスだと肯定的にとらえることもできることでしょう。

そういった自問自答を日々の出来事を通して繰りかえしていくなかで、自他にやさしくなることができ、人として成長していくことができるのではないかと私は考えます。

ストレス要因と接するたびにイライラして不平不満をこぼして生きていくのか、それともその環境に喜びを見出し笑顔で陽気に生きていくのか。短期的に見たら少しした違いかもしれませんが、長い目で見ると大きな差が出てくると思います。要は、心次第で人生は良くも悪くも変わっていくのです。

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まとめ

駅前で行われていた道路工事を前にして、その騒音や指定された遠回りルートによってイライラしてしまった私。しかし、寒空の下で工事現場の人々が懸命に働いている姿を見て、ねぎらいの言葉ひとつでもかけられなかったことを後悔しました。

現代人は道路が舗装されていることはじめ、日常生活に普及しているものを「当たり前のものだ」と考え,そのありがたみに気づくことがなかなかありません。しかしそれらに気づこうとする姿勢で生活することこそストレスを軽減するための鍵だと思います。

普段「あるのが当たり前だ」と思っているものがいかにありがたく価値のあるものか、日々の出来事のなかで発見し喜びながらそれらを味わっていく。それを習慣化することにより幸せを感じる機会は格段に増えていくと思います。

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