支配的な人がとる行動に隠された心理とその意味とは

支配的な人は自分よりも弱い者に対して、めっぽう横柄な態度をとります。常に上から目線で、言葉は暴力的。自分の思いどおりにいかなければ怒りを爆発させます。

そんな支配的な人が職場や家庭など身の回りにいれば、周囲にいる人はきっと苦労が絶えないことでしょう。

一体、支配的な人はどのような心理状態にあり、なぜそのような行動をとるのでしょうか?その行動に隠された心理とその意味および、周囲の対応策について今回は述べてみたいと思います。

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支配的な人への対応は難しいと思う理由

支配的な人は、人にもよりますが大体は言葉遣いが乱暴で横柄な態度をとるのが特徴です。とはいえ、誰に対してもそうというわけではなく、あくまでも自分よりも弱い立場にある人間に対してのみというのが特筆すべきポイントです。

例えば、会社組織であれば、支配的な人は、上司という立場を利用して、おとなしい部下に対し数十分に及ぶ説教をしたり、大声で罵倒して皆の前で恥をかかせたりします。一方で、自分より目上の人に対してはペコペコしてお世辞を言ったりなど従属的な行動をとります。

そのような支配的な人がもし身近なところにひとりでもいると、周囲の人間は恐怖と不安に日々おののいていなければならないことでしょう。

では、支配的な人に対して周囲の人間はどう対応するのがいいのかというと、その対応は非常に難しいと言わざるを得ません。どうして難しいのかというと、もし相手の主張に反論しようものなら、激しい反発が返ってくるでしょうし、かといって相手の言う通りにしたらつけあがってその支配度はますますエスカレートしていくだろうからです。

支配的な人は、知識や仕事のスキルなどそれなりの能力を備えていることが多く、隙が少ない難しさもあります。ですから、真正面から戦ったとしても従属的な対応をとったとしても、いずれにしても問題はすぐに解決へとは向かいにくいのです。

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支配的な人の実態とは

支配的な人は、一見すると、強くて自信に満ち溢れた存在であるように映ることでしょう。
しかし、意外なことかもしれませんが、支配的な人の実態は、決して強い存在ではないと思います。

なぜなら、本当に強くて自信のある人間ならば、精神的に余裕があるゆえに、他人への気配りや配慮が自然とできるものだからです。

しかし、支配的な人は、自分より立場が下の者に対しては気配りがほとんどなく、欠点のあら捜しをして非難することに終始します。そういった行動は精神的に余裕がないことを意味するわけです。

表面的には強そうに見えても、実態は自分に自信がなくて、そのことで苦しんでいる。そして、心の底に「寂しさ」を抱えている弱き存在。それが支配的な人の実態なのではないかと思います。心に抱えている「寂しさ」を埋めたいがために無理をして強がっているのです。

そして、その行動が、反抗してこない弱い相手に対して必要以上にきつく当たるということにつながっているのです。自分の行動を見て相手が怖がっているのを認知し自分の優位性を確認することで心の寂しさを埋めようとしているわけです。

つまり、「乱暴な言葉」「横柄な態度」いずれも、等身大の自分よりも大きく見せるための武器というわけです。その武器をもって、自分よりも弱い存在を否定することで、自分自身の価値を相対的に高めることで、心の隙間を埋めようとしているのです。

支配に介在する深層心理

支配的な人は表面的には強そうに見えても、その心の深層には「寂しさ」を抱えています。そして、その寂しさを埋めるために、自身より弱い者を選び、等身大より大きな自分を誇示する行動をとることによって、自分の存在価値を確認しようとするのです。非常に悲しいことかもしれませんが、彼らはそうすることでしか心の隙間を埋めようとすることができない心理状態にあるのだと思います。

どうして支配的な人が心に寂しさを抱えているのかというと、その原因として、自分自身の親も支配的であったという要因がまず想定されます。例えば、自分の意見を認めてもらうことができず、親に怯えながら育てば、その子供は自ずと、自分に自信を持つことができなくなっていきます。

支配的な親の下で育った子供は、相手との距離感がつかめないまま成長していくため、極端に性格が分かれていくものです。一方は、親に似てめっぽう支配的な大人へ、他方は、従属的で自分の考えを言えない大人になっていきます。

いずれにしても他人の目を人一倍気にしてストレスをためやすい体質であることには変わりありません。

その心の深層には両者ともに「寂しさ」という感情が常に介在し、誰かに自分という存在を認めてほしいという心理が働いているのだと思います。

しかし、いくら強がっていても自分に自信がないために、ありのままの自分では、認めてもらえないのではないか?という不安が常につきまとっているわけです。

そういったネガティブな気持ちを、努力のエネルギーに転嫁できる人もいるのでしょうが、それは人によりけりです。いずれにしても常に他人の顔色をうかがいながら、ビクビクと無意識のうちにストレスをためながら生きることになってしまうでしょう。

話は少し違うかもしれませんが、暴走族には寂しい家庭環境で少年時代を送った人が多いといわれています。中にはバイク好きが高じて暴走族に入ったという人もいるかもしれませんが、多くはそうでもないそうです。その証に暴走族は誰も住んでいないような寂しい地よりも、たくさんの人が住んでいる都会の道を好んで走ります。

そこではスリルを味わいたいという気持ちがあるのかもしれませんが、誰かに自分を存在を知ってもらって、心の寂しさを埋めたいという心理が見え隠れしているような気がしてなりません。

思春期の子供が、親や教師に反抗的な態度をとったりするのも同じ原理だと思います。反抗的な行動は身近な大人が本当に憎いからとるのではなく、成長の過程で生じるいろいろな悩みから起因した「心の寂しさ」を埋めたいという心理からきているのではないでしょうか。

どのように心の隙間を埋めていいか自分でも分からない。その葛藤に苦しむことが反抗的な行動として表出しているのです。

自身の心の寂しさを埋めることに精いっぱいになると、人はどうしても自己中心的になり視野が狭くなってしまいます。すると、想像力が低下し周囲にいる人間の痛みにも気づきにくい状態になりがちになります。

そういったことを考えると、支配的な人は、自身の横柄な態度や粗い言葉遣いによって周囲の人間を傷つけているということ自体に、全く気づいていないという可能性も大いにあることが考えられます。

支配的な人が支配ー被支配の関係性を持とうとする理由とは

人はあるがままの自分自身を受け入れられない状態であれば、なかなか他者のことを受け入れる精神的ゆとりもでてこないものです。

すると、他人のことを心から信用することもできず、「対等の人間関係」を結ぶことができません。

それではうまく相手との距離感が掴めないわけですから、「支配ー被支配」といういびつな人間関係しか構築できないという状態に陥ります。

結果的に、自分より弱い者に対してはめっぽう高圧的なのに、自分より強い立場の者に対しては従属するような、歪んだ人づきあいしかできないということになってしまうのではないでしょうか。

なお、支配的な人は一見すると得をしているように思われがちですが、決してそうでもないと思います。なぜなら、体面を繕うために常に無理をして強がっていなければならず、心が休まる暇もなくストレスが蓄積されているだろうからです。そして心から信頼できる友人もできず、敵も増えていずれ孤立してしまうでしょう。

ではストレスが少ない良好な人間関係を構築しようと思うならばどうすればいいかというと、心理的に「対等な人間関係」を築く必要があろうと思います。

もちろん社会の仕組みとして上下関係はあって然るべきですが、それはあくまでも支配ー被支配という関係性ではあるべきではないということです。

心理的に対等、つまり互いの良い面を尊重しあい、足りない部分を補完しあうという関係性を築く。そういった関係性が人間関係のストレスを緩和するために望ましいのではないかと私は考えています。

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