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「嫌いな相手に対してどう考えればよいでしょうか?」という相談に回答したこと


先日、知り合いの女性から次のような相談を受けました。

「嫌いな人がいるのですけれど、どのように接していいかわからず困っています。その相手のことをどのように考えればいいでしょうか?」

話を聞くと、その嫌いな相手というのは表裏がある、嫌な性格だというのです。表面的には気さくに話してくるのに、陰では他人の悪口をいろいろ言っている。そういった点に嫌気がさし、接したくはないけれど、近所に住んでいるためそうもいかないとのこと。

人の性格はなかなか変えられないものです。また相性もあると思います。皆さんはどのように考えられるでしょうか?

私はその質問に対して「その人の幸せを願ってみてはいかがでしょうか?」と回答しました。

すると彼女は驚きの表情を浮かべたあと「それはちょっと無理かもしれません・・」と眉をひそめていらっしゃったものの、理由を説明すると「少しずつですがやってみたいと思います」と答えてくれました。

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<嫌いな人の幸せを願うことの意味>

人が集まる場に出向くと、誰しも「この人苦手だなあ」「この人なんだか嫌いだなあ」という人が1人や2人はいることでしょう。そんな嫌いな相手に対して、人はマイナスな感情を抱くもの。それが当然の感情だと思います。

それなのにどうして「相手の幸せを願ってみること」を提案したのかというと、それには理由があります。それは「嫌いな自分を許すことができる」「課題を設定してくれる」という2点を通して、彼女が幸せを感じる機会が増えると考えたからです。

<人が嫌いな相手に反応してしまう理由>

誰かに対して嫌悪感を感じるとき、人は皆同じような考えを抱いていると思いがちです。しかし実際は万人が必ずしも、その人に対して悪い感情を持っているとは限りません。

例えば、華やかで派手な服装をしている人に対して、「あの人、目立ちたがり屋で苦手」と嫌悪感を感じる人がいる一方で、「ファッションセンスが高いですね」と評価する人もいるわけです。

どうしてそのような状況が起きるのかというと、人によって価値観が違っていて、反応するポイントも違っているからです。

私たちは育つ過程において、家庭や学校などで、さまざまな人に影響を受け、いろいろな価値観を植え付けられていきます。また、褒められたり叱られたりする体験を通して、ものごとに対する判断基準がつくりあげていきます。そういった価値観や基準を通して、私たちは見聞きする対象に対して好き嫌いの判断をするわけなのです。

彼女の場合、「表裏が違う人」に対して激しく反応するポイントがあったということです。それはおそらく、「人間は正直に真っすぐ生きるべきだ」というような価値観をご家庭などで育まれたからではないかと想像します。

「正直に真っすぐ生きる」。それはとても素晴らしい価値観だと思います。しかし、残念なことに、現代の社会には「表裏が違う人間」というのは五万といるものです。もしそういった表裏が違う人々と出くわすたびに「この人嫌い!」と激しく反応していれば、心が疲れ果ててしまい、長い目で見ると膨大なストレスが蓄積されていくことになるでしょう。殊に敏感で繊細な人の場合、その感情の起伏が大きいため大変だと思います。

もし表裏がある人と出くわしても「社会にそんな人がいても当たり前。自分はそうはなりたくないけれど」くらいに軽く考えることができれば、ストレスを溜めずラクに生きることができるのではないでしょうか。

ではどのようにすれば、その反応の度合いを軽減できるのかというと、それは「嫌いな人の幸せを願う」ということだと私は思うのです。

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<心のハードルを下げる>

苦手な人の幸せを願うことは、なかなか難しいことです。自分のため、好きな人のための幸せを願うことなら普通に誰しもがやっていることでしょう。

しかし、嫌いな人の幸せを願うとなると・・心が動揺し、むしろ相手の不幸を願ってしまう人も少なくないのではないでしょうか。しかし、それを敢えて「幸せを願う」という行動をとったとき、状況が良い方向に大きく変わるのではないかと私は考えています。

どうしてそのように考えるのかというと、「嫌いな人の幸せを願う」ということは、自分自身に課しているハードルを下げることにつながるからです。

「~しなければならない」「~あるべきだ」といった自分に課しているハードルが高い人はその基準に満たない人を見たとき、心が大きく動揺します。人によってはイライラしたり激しい怒りを覚えたりするわけですが、そういった感情はストレス蓄積や対人恐怖につながっていくわけなのです。

もし相手の幸せを願うことにより相手の行動をも許すことができれば、些細なことで反応せず、よりラクに生きることができるようなるというわけなのです。

なお、意外なことかもしれませんが、嫌いな人が持っている要素は、自身のなかに眠っている「嫌いな自分」が持っている要素と同じである可能性があります。

例えば、会社でダラダラ仕事をしている人を見つけて激しく反応する人は、実は同じような要素を持ち合わせている(あるいは持っていた)可能性があるのです。人前ではキビキビ行動してスマートに仕事をこなしていても、家に帰ったら意外にもゴロゴロ寝そべってお菓子を食べながらダラダラしているものなのです。

本来自分自身がそういう要素を持っている(あるいは持っていた)けれど、それは認めたくないし良くないことだと思っている。だからそれを彷彿とさせる人を見かけると「許せない」「こんなのダメだ」というイライラや怒りの感情が沸き起こるということなのです。

つまり、「嫌いな相手を許す」ということは、「嫌いな自分をも受け入れる」ということにもなりうるのです。あるがままの自分を受け入れることができれば、肩ひじ張らず、ラクに生きることができるようになるということは言うまでもないでしょう。

<嫌いな相手を許すことは嫌いな自分を許すこと>


万人が「この人嫌だな」と思うような人であっても、その人は決して赤ちゃんの頃から嫌がられる人であったわけではないでしょう。育つ過程で、環境に恵まれなかったり不遇なことがあったりして、嫌われやすい人になったのだと思います。その人なりの何らかの事情があるのです。

陰で人を傷つける人というのも、同じく何らかの事情があるのだと思います。なぜなら、陰口を言うような行動は、自分に自信が持てず、毎日の生活に幸せを感じていないことの裏返しだと思うからです。他人の悪口を言うことで、相対的に自分の価値を高めて自尊心を保とうとしているのでしょう。それは非常に悲しいことだと言わざるを得ません

そういったことを考えると、表裏のある人というのも、ある意味、悪い人というよりは、「可哀そうな人」だと捉えることができるのかもしれません。ですから、そういった人に対して恨んだり怒りを向けたりするのではなく、むしろ幸せを願ってあげるほうがよいのではないかと思うのです。

最初のうちは抵抗があるかもしれませんが、例えば「今日、〇〇さんに良い出来事がありますように」みたいに相手の幸せを願ってみるのです。

もし他人の不幸を願ってしまうと、それは不思議なことに自分に返ってきます。それはマイナスなイメージを潜在意識が記憶し、自分自身についてもその状況が実現する方向へ脳が稼働するためです。

逆にいうと、他者の幸せを願うと、そのプラスイメージが潜在意識に記憶され、不思議なことに良い出来事が起こりやすくなるということです。ですから、「嫌いな人」というのは、誰かの幸せを願う良いきっかけを与えてくれるありがたい存在であるとも言えるかもしれません。

<課題を設定してくれるありがたい人>

普段生活していて、特に繊細で敏感な人は、嫌いな人に会うごとに心が動揺し、疲れ果ててしまうことでしょう。それは相手の悪い面を拡大解釈する度合いが人一倍大きいからです。ですから、敏感で繊細な人は、「嫌いな人」のマイナス要素を見るのではなく「プラス要素を探す癖」をつけることを意識して生活を送ってみてはいかがでしょうか?

例えば、何かの交流会に行って「この人、ぶっきらぼうでなんだか嫌だなあ」と感じた人と話をしなければならなくなったとします。

そんなときは、「最悪だな」「運が悪いな」などとネガティブなことを真っ先に考えないことです。そんな感情がわいてきたら、自分なりに以下のような問題を設定して、それに解答をつくる習慣をつけてみてはいかがでしょうか。

例えばこんなふうに

(問)「目の前にぶっきらぼうで、とっつきにくい人がいます。どのように考えたら、親しみを感じられるでしょうか?」

嫌いな人に対しては、どうしても嫌な要素にばかり目がいくものです。ですから、即座に解答は出てこないかもしれません。しかし、一度深呼吸してみて、じっくり相手を観察してみると、例えばこんな解答ができるかもしれません。

「確かにぶっきらぼうなのは嫌悪感を感じる。しかし、敬語をきちんと使える点、時間にきっちりしている点、服のセンスが良い点など評価できる良い面もある。」

冷静に相手を観察することで、嫌な要素に隠れて見えてこなかった「良い要素」が見えてくるものなのです。たいていの場合、「嫌い」「苦手」という感情はその相手の要素のごく一部分を観ているにすぎません。それを拡大解釈するから必要以上に強い嫌悪感を感じてしまうのです。

殊に敏感で心が繊細な人はその捉え方の起伏が大きいため、不安や恐怖を感じやすいのではないかと思います。

ですから慣れるまではしんどいことかもしれませんが、嫌いな人に出くわすたびに、そういった感じの設問を自分なりに設定してみて解答を作成してみるとよいと思います。それを無理のない範囲で繰り返すことによって、無意識のうちに相手の良い面を探す思考の癖がついてくるはずです。

人やものごとに対する「良い面」に真っ先に目が行くような思考の癖をつける。それこそが人と接するストレスを軽減するために非常に重要なカギなのです。

なぜなら、嫌いな人の「良い面」を見つけ受け入れるということは、自分自身の良い面を探し「嫌いな自分」も受け入れることにつながるからです。

「嫌いな自分を受け入れる」ということは、それだけ幸せを感じるハードルが下がるということを意味します。つまり、些細なことにも喜びを感じ幸せをたくさん味わえるようになるということです。そういったことを考えると、嫌いな人というのは、そのハードルを下げるための課題を設定してくれるありがたい存在だと思えてくるのではないでしょうか。

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