「大人になると感動が減る」とよくいわれています。子供の頃は少ししたことでも感動できたのに、大人になったら同じものを目の前をしても色あせて見えてしまうような経験はないでしょうか?
例えば、目の前に美しい夕景が広がっているのに、仕事の愚痴をこぼすことに終始してしまい、夕陽に気付かず通り過ぎてしまったみたいな。しかし、そういった人でも、子供の頃なら夕陽の美しさに目を奪われ陽が沈むまで眺めていたに違いありません。
大人と子供の視点の違い
では一体、子供から大人になるに従って何が変わったのかというと、思考の対象となる「過去」「現在」「未来」の配分が変わったのだと思います。
人間は子供から大人へ成長していくにつれて、人間関係を築きながら世の中の見聞を広げていきます。
そこでは、自分の置かれた立場やとるべき行動を客観的に把握するために、俯瞰してものごとを眺めるようになります。
そこで脳がどうはたらくのかというと、「過去」から同じような出来事を探してきて、それを材料に「未来」を予想するという作業を行うわけです。
とりわけ心配性の人は、「未来」に対して思考を集中させて綿密にシュミレートする傾向があります。
すると、「もし今勤めている会社がつぶれたらどうしよう・・?」「今度のプレゼンで失敗して恥をかいたらどうしよう・・?」みたいな漠然とした不安が湧き上がってくるわけなのです。
確かに大人は社会的責任が伴うわけですから、過去を題材に未来を予測してリスクを回避するという視点は必要かもしれません。
ただ、その思考回路をあまり強化してしまうと、知らないうちに日常に対する感動が減ってしまうことでしょう。
日常にたくさん幸せの種が転がっていたとしてもそれに気付くことなく通り過ぎてしまうようになってしまうからです。つまり、人生そのものに幸せを感じにくくなってしまうということです。
一方、子供は何もないような平凡な毎日のなかでも感動を見つけることができます。
大人が子供のように再び感動をできるようになるためには
では、私たちはどのようなことに意識すれば、大人でも子供のころのときのような純粋な感動を味わうことができるのでしょうか?
それは、「現在」に意識を集中させる時間を増やすと良いと思います。
目の前で今起きていることひとつひとつに目を向け、より深く味わおうという意識を持つのです。
星がまたたいていること、梢に鳥が鳴いていること、可憐な花々が咲いていること、涼風が心地よいこと・・。
観察すればするほど、「今」という一瞬にもたくさんのことが起きていて、そのひとつひとつが神秘的で感動できることばかりなのではないでしょうか?
未来のことなど誰にも分かるものではありません。
もちろん、厳しい社会の荒波をわたっていくためには、未来のリスクを想定しそれを回避する準備をしておくことは必要だとは思います。
ただそればかり考えて、過度に不安に思ったりイライラしたりして日常を送るのは非常に惜しいことだと思います。
日常に転がる、宝石のような幸せの種の数々をみすみす見逃してしまうからです。
そうならないようにも、「今」という瞬間に目を向ける時間を意識的に増やし感動の機会を増やしながら日々を過ごすことをおすすめしたいと思います。
そうすることによって、大人は高価なものを身につかなくても、他人に勝たなくても、子供の時のように感動をかみしめ幸せを感じながら生きていけるのではないかと思います。
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